
「室津千軒」,も今は昔,のどかな港町室津 / Murotsu, flourished as an important port town of the Seto Inland Sea in the Age of Sail.
Murotsu Port was one of the five Seppan-gohaku ports(All of them were located from Settsu Province to Harima Province) opened by the Buddhist priest Gyoki in the Tempyo Era (729-749). It flourished very much as an important port of the Seto Inland Sea in the Age of Sail, and there are many legends and secret stories remaining about it being the origin of courtesans.
(Reference : www.city.tatsuno.lg.jp/english )
Murotsu, Tatsuno-City, Hyogo-Prefecture, Japan.
October 2015, Olympus OM-D E-M1
十数年前,豪雨の降りしきる中を訪れ,ろくに写真が撮れず心残りであった室津の港町を,10年ぶりに再訪しました。
室津港は,約2000年前、神武天皇の東征先導役がこの地に開港したのが始まりといいます。
藻振ノ鼻(室津半島先端部)と金ヶ崎(たつの市・相生市境)で囲まれた室津湾の、更に東側奥にあることから、「室の如く静かな津」ということで「室の泊」と呼ばれたのがその名の始まりと伝えられています。
『播磨国風土記』に、「コノ泊、風ヲ防グコト室ノゴトシ 故ニ因リテ名ヲナス」と紹介され,奈良時代には僧侶・行基によって「摂播五泊」の一つとされ、海上と陸上交通の要衝として「室津千軒」と呼ばれるほど栄えそうです。同時に,遊女発祥の地とも言われ,木曾義仲の側室であったという伝説の遊女,友君の墓もあります。
江戸時代になると、参勤交代の西国大名の殆どが海路で室津港に上陸して陸路を進んだため、港の周辺は日本最大級の宿場となりました。通常、宿場におかれる本陣は、1軒、多くとも2軒(脇本陣)ですが、室津には6軒(肥後屋・肥前屋・紀国屋・筑前屋・薩摩屋・一津屋)も置かれたそうです。しかし、明治に入ると参勤交代の制度が無くなり、鉄道・道路が内陸部に敷かれたため急速に衰退し,現在は鄙びた港町としてゆっくりとした時を刻んでいます。
兵庫県たつの市御津町室津
2015年10月撮影,Olympus OM-D E-M1
loading map - please wait...
Comment
No trackbacks yet.

「千の塔の都」, カイロイスラム地区 – Part4 / Cairo, “the city of a thousand minarets”- Part4
Islamic Cairo, Cairo, Egypt May2016…
No comments yet.